2011年10月30日日曜日

台湾一周旅行記~6thDay


6日目、最南端をついに経過した達成感と、前日の宿探しの疲れが重なったのか、
この日の朝は激しく寝坊し、目を覚ましたのは9時過ぎた後でした。
でもいいんだ、この日のスケジュールは全日程中一番緩くてまったり出来るから!
何故なら、今日の宿はすでに決まってるのさ!
そう、高雄にある妹と彼氏さん実家にお邪魔する、と言う予定でした。

距離的に間違いなく日程中最短距離を記録するであろうこの日でしたが、
なんせ行く場所が台湾2番目に大きい都市の高雄なので、回れるとこは数知れず。
久々に都市観光らしい日になりました。



2011年8月20日土曜日

台湾一周旅行記~5thDay


出発から5日目、やっと折り返し時点である最南端を走り抜ける、記念すべき日でした。
この最南点路線周辺の海景色は九日間で見た色んな海景の中でも、
もっとも素晴らしい物でした。
台湾最高級のビーチリゾート地がここにあるのも納得できましたよ~。

しかしこの日も!まさかの宿探しで苦労するとは思いもよらなかった・・・
でも台東と違い、がんばった甲斐もあって、
最後はとってもいい思い出を残すことができました。

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出發後的第五天,在這一天終於穿過了最南端,繞過了半個台灣,是個值得記念的一天.
而這台灣最南部的海色風景,也是我整個九天行程中最美的一段.
也終於見識到了台灣最高級的沙灘避暑勝地;墾丁的魅力.

可是萬萬沒想到這天會為了找一個過夜之宿,
比預計多開了好幾十里的路.
還好皇天不負苦心人,最後不只讓我找到旅宿,也讓我留下美好回憶.



2011年8月1日月曜日

台湾一周旅行記~4thDay


4日目、この日はあり得ないほど早起きしました。
朝4時半起き・・・魚市場にでも行くような早さであるな!

実は昨日知り合った同じ台湾一周してる青年たちの出発時間なんです。
しかし彼らは僕のバイクと違い、遥かに過酷な自転車ツアーなので、
彼らに敬意もこめて、朝一緒に起きて見送る事にしたんです。
正午時間がほとんど移動できない上、移動距離も体力次第と言う彼らは、
何時もこんな早い時間で移動始めるんだってさ、ホント凄いよね。

彼らを見送った後、僕は7時まで二度寝して、宿から出発する事になりました。

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第四天,這天起得超早.
才清晨四點半就爬了起來,像是要去早市擺攤的人.

其實是為了要替前一天在旅社認識的青年們送行.
不像我騎機車不花什麼體力,他們騎腳踏車環島就是得這麼辛苦.
也算是對他們的一份敬意,所以就自己起了個大早來目送這些勇士們.

當然送完了行,我就再倒頭二度大睡.
到了早上七點多時,才起床出發.



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2011年7月28日木曜日

台湾一周旅行記~2~3Day`s Movie


太魯閣国家公園~燕子口










還有其他影片在這!
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台湾一周旅行記~3rdDay


3日目、この日は前日の疲れもあっておきたのは朝の8時半だった。
相変わらずアラームはつけないけど、
睡眠をちゃんととって疲れを癒さないと、長い旅路に響く恐れがあるからね。
特にこの日走り抜ける予定の「蘇花公路」は、事故率が非常に高い悪路で有名なので、
疲れた体で挑んで、途中眠くなったりしちゃ話にならないからね。


しかし、この三日目に撮った写真の枚数はなんと九日間中のトップなのですよ。
写真のメイン被写体はほとんど蘇花公路の路上景色ですが、
危険な道のくせに景色がヤバイほど綺麗でした。
そして、途中入ったタロコ国家公園もここでしか見れない天然絶壁に圧巻されました。
最後は夕方に訪れた、海辺公園が何箇所もあるまるで花園のような都市「花蓮」
どれもとっても素晴しいとこでした。

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第三天,這天因為前一天的疲勞,起床時已經是八點半.
雖然我依然沒設鬧鐘,因為與其在沒睡飽的狀態下,勉強自己疲勞駕駛,
不如在讓自己睡到自然醒,這樣一路上玩下去才不會有負擔.

而且這一天要走的是「蘇花公路」,這一條的事故率高的驚人,加上路程又長,
我可不想在這種路上疲勞駕駛啊.

話說回來,這第三天的相片,也是我九天行程中拍攝張數最多的一天.
雖說蘇花公路車況很糟,但是它那天然形成的險峻景觀真的非常迷人.
中途特地改道去參觀的太魯閣國家公園就更不用說了.
為什麼陸客來台非得一來此地的原因,我終於感同身受啊.
最後到達的花蓮市,這個地方也是我九天裡所經過的城市中,最令我想要永住一生之地.
真的是所經之處,處處如是花園一般的城市.



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2011年7月22日金曜日

台湾一周旅行記~2ndDay


二日目

この日の全路程は半分沿海道路、半分は山道と言う、山水両方楽しめるコースを選びました。

分岐点は頭城鎮(トォーチェンジェン)
特に事前計画した分岐ポイントではないけど、
ただ頭城から内陸コースに向かうと礁溪温泉という名勝地に行けるなって感じ、
単純に走りながら思いついた発想でしたがーっ
いざ温泉付近についたら、こんなクソ暑い天気に温泉って・・・ついに頭がイカレたな。
結局温泉には入らず、通り過ぎただけデシタ。


二日目の主な観光ポイントは、日本人に大人気なの観光スポット「九份」を加え
陸路を走り続け経由した、宜蘭市と羅東など比較大きな都市、
最後は東台湾で有名な港町「蘇澳」と「南方澳」を見回りまして、
そのまま蘇澳で一晩過ごしました。


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第二天


這天的行程一半走靠海的北濱公路,一半走內陸的國道九號.
海陸走道的分岐點設在頭城鎮.


其實也不是什麼特別規劃的路線,
只是海景看久了就會想看些山色,也想看看一下東台灣的街景.
路線走向全都是在機車上臨時想到的,
分岐點會設在頭城鎮,也是看地圖時想到頭城隔壁的礁溪有個名溫泉.


但是真的快到礁溪時又突然覺醒.
在這大熱天下,為了不被曬傷得穿長袖衣著已經夠天然三溫暖了,
我頭殼壞去還想泡溫泉....


這第二天主要經過的景點為"九份","宜蘭市","羅東鎮"
還有東台灣的名港都"蘇澳港"及"南方澳"
最終在蘇澳過了一夜.


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2011年7月20日水曜日

台湾一周旅行記~1stDay





いよいよ、始まりました! 台湾一周の旅回想記事!
台湾に定住してからはや25年、初めての国内旅行です!
いやはや恥ずかしい限りでございますw
この25年間、日本に行った回数は2桁に届きそうなのにー!ですよ、
生まれ国なのに隣の県は行った事はあっても、隣の隣は行った事ないわ。マジないわー。
どんだけ非国民やねん。
こんな年になってようやく反省しました。

と言うわけで、まずこの九日間のスケジュール一覧図を上においときました。
これは何時の日にどこまで着いたかって言う記録をつけてます。
つまり7/2の出発日は「基隆」まで着いたって意味です。

日によれば凄く遠くまで走ったり、逆にほんのちょっとしか走らせてなかったり、
これ見たら分かると思うんですけど、超気まぐれにあちこち遊んでます。
こんな全国を回る機会滅多にないし、今回は時間制限もないから、
折角なのでゆっくり自分の興味あるとこをとことん堪能してきたのです!


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台灣環島日記即將開始,請各位客倌賞個光,聽聽小弟屁幾句.
想想住在台灣也有個二十五年了吧,這還是在下我第一次的國內旅行呢.
啊對了 中小學的校外教學可不算啊.
各位男同學都嘛知道,校外教學的最大目的不是去認識台灣.
而是去認識隔壁斑女同學,甚至是別校的美女.
這可不是我亂蓋,是不爭的事實,而且還是世界共同的傳統.
這段我日文沒寫,可別幫我忠實翻譯呀w

這次在下我為了"重新認識台灣"這目的,展開了這場長達九天之旅.
而這九天的行程就看最上頭放的圖片便可知曉.
例如第一天的7/2,我便到達了基隆,以下就以此類推.

說實在的,花九天環島,說長不長,說短也不短.
看了一下圖也不難發現,我有時騎得很遠,有時卻騎了一下下就停下腳步.
這都代表著我玩得很隨與,反正我也沒有時間上的限制,
而且這種全國趴趴走的機會也很難得,
所以只要是旅費可以負擔得起,我就給它多玩了一陣子.






それでは、今回はまず一日目の写真日記、始まりまーす!


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那麼 就來開始我的第一天遊記日誌吧!




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2011年7月14日木曜日

台湾一周旅行記~後日


出発前、僕は1500キロメートルの旅になると適当に予測した。
そして、その結果はほぼ予想通りになった。

1531キロ。それが僕の始めての環島旅行でした。


まず後日談から始まる旅行記で申し訳ない。
だが、何故こんな事しようとしたか、
どうやったか、さらにその結果は?、感想などは?
と言う様々な答えから始めておきたいと思います。


そして、この記事から2種言語同時進行になります。
読める方で見てね。



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出發前,我猜想說大概會開個1500多公里吧
結果沒想到就真的給他開了1500多

總里程數1531公里,這就是我的第一次環島遊記

從開頭第一篇就先開始寫旅後心得
是為了先讓大家知道,我是為了什麼計劃了這一趟旅程
還有想寫寫我的一點點心得


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2011年7月2日土曜日

日本滞在記ー最終話~「帰国」



かくして、3ヶ月に及ぶ日本滞在生活は、これでピリオドを打つことが出来ました。
8年ぶりの日本、全てが懐かしかった一月。
東日本と西日本を走り回った、慌しい二月。
そしてたった2週間未満の短い一時だったけど、自由に旅が出来た三月。

色んな人にありがとうを言えた、この三ヶ月間。
いい事ばかりじゃなかったけど、本当に色んな経験が出来て、楽しかった。

願わば、次は8年など待たなくても、近い内にまた遊びに来ようと思います。



三月十一日、午後1時。
台湾到着。

後、2時間後に日本で東北大震災が発生。
まるで災害から逃げ帰ったようなこのタイミング。
未だに僕は奇妙な罪悪感を感じてる。
例え僕が日本に留まって居たとしても、どうしようも出来ない癖なのにね。
ただひたすら無事を祈る事しか出来なかった。



2011年6月27日月曜日

日本滞在記ー第20話~「能美島、再び」


1月末、来日したばかりの頃、
久しく顔を会わせてない叔母さんに、誘われるがままつれて行かれた離れ島。
今度はお別れの挨拶と言う形で、今一度行く事になりました。

前回は叔父さんが車で迎えてく来てくれたから、
事実上、一人で港に来るのは初めてだったり。
こんな立派なターミナルだったんだね!

しかも、あの時は小雨が止まぬ、微妙な天気だったと来たから、
今日、こんな晴れた日は、港は見晴らしがホントに素晴しく、
出船時刻よりやや早めに来た事に、感謝するばかりである。


2011年6月13日月曜日

日本滞在記ー第19話~「祭り」


お祭りは好きですか?
僕は大好きです。

とってもとっても幼い頃、僕ら一家は日本に住んでた時期がありました。
しかし今となっては、あの頃の記憶は断片的にしか残ってません。

ただ、たまに、ごくたまに夢の中で薄っすらと走馬灯のように横切るんです。
親の手を握りしめ、屋台を菓子をねだるような、
灯篭のともし火で照らされた夜道を、はしゃいで走り行くような、
浴衣姿で高台を囲み、踊り回る人を眺めるような
そんな思いでが。

何時、どこで、誰と、そこまではもう思い出せないのに、
確かに感じられる、これは「お祭り」の思い出。
楽しいお祭りの思いで。



2011年6月11日土曜日

日本滞在記ー第18話~「球場」




8年前広島に来た時、
野球好きな叔父さんの好意で、人生初の野球観戦を体験した。
叫び響く歓声、流れ渡る応援歌。
今でも忘れられない熱い一夜だった。

その叔父さんは、今はもう亡くなり。その球場も、今は使われてない。

そう聞かされて、寂しさを感じつつも、今使われてる新球場に興味が湧く。
という訳で、小雨の中、傘をさして見に行ってきた。

流線型な外部フレーム、多機能多目的な数々のステージ。
まさしく言葉どおり、近代的なスタジアムだった。

しかし、この日に試合はなく、そしてこの雨だから、人通りは全く無い。
無機質な外壁と灰色に染まる空は、旅人の心境を幾分感傷に引き込んでしまう。



それでも駅からスタジアムまでの数百メートル、
延々と続くフェンスの上で、神々しく飾られてる、
広島当地の球団、カープ選手代表たちの紹介看板を眺めるだけで十分楽しい。
どこの大学出身、どんなポジション、どういう経歴、こういう逸話。
野球に詳しくない僕でも、彼らが、そして野球がいかに愛されてるか、
十分伝わってくる。


近くのコンビニですら、特別カラーと言う徹底さ。


さすがに中で写真撮るのはマナー違反だと自重しましたが、
中は野球グッズびっしりでしたw



そしてそして、日本名物である「コレ」も勿論特別仕様。



カラーついてるマンホールとか初めて見ましたわ。


2011年6月10日金曜日

日本滞在記ー第17話~「決意」



尾道の旅から戻った後、予想以上足に負担をかけまくったせいか、
帰宅後数日、膝と足筋の筋肉痛に襲われて、暫く遠出は諦めざるを得なかった。
本来、港町の「呉」とかにも行きたかったけどねー。

しかし、こう毎日部屋で寝そべって居ても気分が沈んでいくばかり・・・

「これからどうしよう?」
それから毎日のように、頭の中でこのフレーズが響く。
彼方此方に旅へ出ては、旅先の感動で一時の忘却は出来ても、
所詮は一時期の逃避にしかならない。
結局、家のドアを開くたびに、現実の世界に引き戻されてしまう。


一日、二日、三日・・・
答えがみつからないまま、時間だけは過ぎていく。

ふと航空チケット取り出して見る。
期限的に4月一杯まで滞在は可能と、書いてるのを再確認する。
しかし、大学はもう諦めるしかないし、これ以上居残ると生活費もバカに出来ない。
それに、もうこれ以上面倒見てくれてる叔父や叔母に、迷惑をかけれない。


三月一日
帰国を決心。
日程は、丁度10日後の三月十一日を選んだ。

この残された十日間、
せめて最後まで、この大好きな国の空の下で思う存分歩き回りたい。
そう思いながら、僕の自由気ままな散策が始まる。


2011年5月14日土曜日

日本滞在記ー第16話~「おのみち」


瀬戸内海ふらり旅、今回は東広島の古くから賑わってる港町、尾道へ。
尾道と言えば、ラーメンが有名ですね!

まぁ逆に言えば、尾道でラーメン以外で何が有名なモノは無いのか、
地元人じゃなければいまいちぱっと思い浮かばないでしょうけど、
古街道マニアの僕がわざわざ足を運んできたのだから、
勿論ラーメン食ってハイ、さいならって話じゃあ済みません。

2011年4月26日火曜日

日本滞在記ー第15話~「宮島」


広島観光名所中の名所、宮島。
日本三景とも数えられるここは、
歴史、自然、古跡、グルメなど、一粒も残さず旅人を満足にしてくれる景勝の地。


とまぁ広島観光サイトを開いたら真っ先にピックアップされてる場所ですね。
でも、僕にとって宮島はただの観光地だけじゃなく、思い出の地なんです。
母方のお婆ちゃんは広島住まいで、
言わば母の実家が広島。
日本人でもないし、日本にも住んでない我が家の帰省は、困難を極まり。
本当に数年に一度の大イベントでした。
そして、帰省の度に訪れるのがここ、宮島。
まさに僕の思い出の場所なんです。 


平清盛の時代から1500年もこの地を見守ってきた厳島神社。
その歴史の目から見て、僕は一回の瞬き如きの過客である。
しかし、僕の30年あるかどうかの人生で、
ここは間違いなく、僕の生きた証が、残っている。

2011年4月13日水曜日

再開


未だに余震が絶えぬ日本。
そして、未だに改善されない原発事件。
様々な不安と問題を抱えた今、実は一番心配なのは天災よりも寧ろ人心。

不謹慎不謹慎と慎みすぎて、心が萎む一方ではないかと、本当に心配です。
確かに被害者、被害地への心遣いはとっても立派です。
しかし行きすぎた心遣いは、時に人を追い込む時もあります。

何時までも落ち込んで居る訳にはいけません、
今は、いや、これからは元気を出して、笑顔を取り戻す時です。



僕も今日から、更新を再開します!

2011年2月24日木曜日

日本滞在記ー第14話~「たけはら」


2月19日、朝9時半を過ぎる頃、僕はすでに駅に居た。

前日寝る前、
適当に”古い町並み”と言うキーワードで拾い上げた微かな情報をあてに、
東広島の旅に繰り出してた。 

向かうは「竹原」
白い壁と飴色の格子が未だに残る、いにしえの町。


特に何も考えず、適当な時間で家を出たわけですが、
うれしい事に、一日に数本しかない特別列車の発射時間にどんぴしゃ。

「瀬戸内マリンビュー」と言うこの列車は、今では珍しい気動車列車。
もう当たり前のように電気化された列車が走り回る日本ではホント珍しい。
走行最中たまーに気笛が鳴ったりして、かなりユニークでした。

車内は船をモチーフした粋な内装だけじゃなく、
車外の景色がよく見れるような椅子配置は観光旅人としては特に嬉しい。

この予期せぬ素敵な出会いで、目的地に着く前から気分は最高潮。
こういう素晴らしい不意打ちがあるからこそ、旅行は辞めれないなw


2011年2月23日水曜日

日本滞在記ー第13話


これは日没。一日の終わりを告げる時。
これは日の出。一日の始まりを報じる時。
終わりに見えるか、始まりに見えるか、それは自分の心次第。


2月18日、運命の日。
最後の大学合格発表日。

結果は予想通り。
奇跡と言うものはそうそう起きるものじゃないと、今一度身をもって知りました。

はぁー、ここ一ヶ月肩に圧し掛かってた重圧感、緊張感が一気に吹き飛んだ。
そして、その同時に酷い脱力感と疲労感にグワっと襲われた。

色々理不尽を感じるこの度の結果ですが、
勝負に負けた者がつべこべ吠え面で泣き言垂らしてもみっともない。
そう言う愚痴は気を許せる友だけに聞き流してもらうだけでいいので、
ここで語る気は無い。

ただ、この程度の敗北で諦める気は無い。
リベンジする。してやるさ・・! 
大学はあくまでも目的への過程でしかない、目標はへの道は他にもきっとあるはず。
この道がダメだったなら、また他を探すさ、見つかるまでな。



2月18日、一日丸々思いっきり落ち込める底まで落ち込んでみた。
2月19日、僕はカメラと地図を一枚片手に持ち、電車に乗り込む。

さぁ、楽しい旅の始まりだよ!

2011年2月17日木曜日

日本滞在記ー番外参


東京観光の時はちょっぴりと贅沢三昧な3食を楽しんでしまって、
広島に戻ってからは、早くもいつものスーパーで、
売り残り割引シールが張られた食材を探す作業に勤しむ現実に戻されるワタクシ。

そんなある日、毎日の朝ごはんでお世話になってるパンコースで、
特別に設けられた1コーナーに目を奪われました。

「一日限定特別半額サービス」・・・だと!

パンはどう割引されてもせいぜい2、3割が山だと思って居ましたけど、
半額だと・・?! これは心を打たれる甘美な響き・・!


して、その対象品はいかに・・・

このいかにもプレゼント用の包装、
このいかにも愛情篭ってます(はぁと)な形、

全部バレンタインデーケーキの売り残りじゃないか・・・

これは、なんという、買い難さ。
めっちゃハートの形しているし。

だからなのか、こんな質も量もさして悪くない一品一品で、
さらにこの驚きのプライスでもなお、まだ在庫が残ってる、そう言う訳か。
頑張った自分のご褒美としてバレンタインの売り残りケーキ買う女子も流石にいないか。


しかし財布事情が事情で、このような超お買い得品を見過ごすのは言語道断。
男のちゃちいプライドなどバスト湾に沈めて、ここは買うべきであろう・・!

あぁー・・・レジのお姉さんの笑顔が何時もより増して眩しいZE。




と言うわけで、今日の贅沢な朝食のご披露。


半額シールの自己主張が激しい一枚。
因みに普段ケーキは滅多に食べません。
これ、こう見えて結構デカイんです、弁当箱より大きいです。


しかしこれ、甘ッ。 超甘い!

チョコレートだからちとほろ苦いイメージを勝手に想像してたけど、
そんな事全く無かったww 超あめぇww 
ヤベェwこんな甘いものバレンタインデーで貰う男の子ってww羨ましくないんだからなっww

僕甘いもの苦手なのに、何やってんだろww


#この後スタッフが3時間かけて美味しく頂きました。

2011年2月15日火曜日

日本滞在記ー第12話




2月13日、茨城から東京に移り、四日が過ぎました。
何年ぶりかすらもう思い出せない、かつて幼年を過ごした東京への帰郷。
目に映るそこの景色は、すでに「思い出」とはかけ離れた姿に変貌していた。

しかし町は変わろうか、道は曲がろうか、変わらぬものもあるはず、
それを求めて僕は東京都内にある神社、神宮、お寺、古跡を巡り歩く。

花園神社、新宿御苑、明治神宮、湯島聖堂、東照宮、寛永寺、浅草寺などなど、
気づいたらお参りしてばかりの東京観光。
しかも上記内容全部二日で回ってる。雨や雪の中で、寒さに耐えながら。
一体どこの修行僧なんだかw

年を重ねる度に消え失せていく、かつての記憶。
それを忘れないように、必死に思い出しながら、
東京と言う町並みに、今一度一歩一歩新しい足跡を残していく。
ホント今回の観光旅行はこんな感じでしたね。


で、この度の東京旅行で一番の収穫は、
ただひたすら思い出に入り浸ってるだけじゃなく、古い友人との新しい出会いが出来た事。

実はちとしたFFプレイヤーのオフ会を設けさせて頂きました。
すでにプレイヤーを引退した方々が多いんですけど、
かつての思い出話はホント懐かしい感動ばかりでした。
もう何年も画面の中で付き合いがある人なのに、
いざリアルで対面するとやっぱ小恥ずかしいですねw 

ホントは一人一人名前挙げて感謝したい気持ちなんだけど、
一応ここも公開の場ですので、名を伏せて全員に感謝の意を申し上げます。
本当にありがとうございました。

特に案内だけじゃなく、宿まで提供してくれたクニさんには感謝ですよw

次回東京行けるのは何時になるか、そもそも次回は果たしてあるのか、
今の自分では分からないけど、
もしそういう機会があれば、是非みんなとまた会いたいですね。

2011年2月10日木曜日

日本滞在記ー第11話




2月9日、今新宿のホテルで東京の夜景を眺めながら日記を書いてます。
こう書いただけで、リッチで優雅な一晩を過ごしてそうな感じですが、真逆ですw

まず、受け止めないといけない事実として一つ報告を、
2月8日で公表された大阪の大学合格者リストに僕の番号は無かった。

去年と比べて、5倍にも膨れ上がった志願者の数に全く動じなく、
合格者は去年と同じく3名だけと言う結果でした。
志願者30人で3人だけの合格者。いかに激しい競争率か想像出来ますね。

予知夢とかオカルトチックな話になりますが、
公表日の前夜、何度も悪夢を見たんですよね。
大学に落ちた夢を何度もw 一晩5回ほど目が覚めたわ。
おかげで茨城行きの新幹線&バス上はすごく辛かった。

茨城大学の試験前に公表結果を見るなって友から忠告はされたものの、
正直我慢できませんでしたね・・・
そのせいとは言いたくないけど、
結果的に茨城大学は、もう残された最後のチャンスと言う自己プレッシャーで、
思うとおりの結果が出せなかった。ホントダメダメですなぁ。
全く何のためにこの1ヶ月日本に滞在してたか、自己険悪に陥ってます。


そして皮肉なことに、先日、留学生奨学金審査合格告知書が届いた。
学校が決まる前に奨学金が先に合格したとかワラタ。

留学生奨学金の審査は本国に受けた留学試験の成績で判定が下されます。
この留学試験成績は2次試験でも大学側の利用成績に入ります、
事実上日本のセンター試験と同じ物と考えていいでしょう。
当たり前の事ですが、ある程度成績結果がないと審査は通りません。

そんな成績優秀な学生が現に落とされてるから、
いかに2次試験の面接が大きな割合を占めてるか、お分かりになりましたね。

本国に居た頃、助言求めて会った、あの編集長に言われた事思い出すな。
そんな年だと正直大学は受けてくれないよって話。
年齢問題とかで落ちたとか絶対ありえないと思いたいけど、正直悔しい。

しかし話は変わるけど、高度経済発展した中国により、
経済的に余裕を持ち、中国からの留学志望者が倍増したのが一番辛かった。
こんなにもライバルが増えるとホント倍率がすごいことになるのよね。

茨城大学の志願者も去年は180人だったのに、
今年は290人まで倍増していると公告が張られてた。
これは大阪の30人ってレベルの比じゃないな・・・

思えば思うほど不安になる今、もう割り切って観光にきた事にしておこう。
たとえ今月一杯で荷物纏めて国に戻ることになろうとも、
折角憧れの日本に来て居るんだし、今後はもうこんなチャンスはないから、
思う存分、この景色を堪能しておくとしよう。

いよいよこの滞在日記も大詰めになってきました。
結果はともあれ、せめて最後は愉快な気分で、日本に別れを告げたいと思っております。

2011年2月2日水曜日

日本滞在記ー第10話




1月30日、とうとうこの日がやってきた。

この日は最悪にも今年に入って以来3本指に入る寒さであり、
山奥にある学校への道のりは、
南国育ちの僕にはあまりにも厳しい寒風が骨に刺さる。

そして何よりも心寒く感じるのは孤独である。
会場は同じ留学試験を受けに来た、数多くのうら若き少年少女が、
すでに寄り合い、僕の聞きなれない言葉で講談を始めていた。

中国人7割、韓国人3割・・・実際の国籍割合はどうか知らないけど、
間違いなく僕の目の前に出来上がってる、この二つのグループからして、
当たらずも遠からずだろう。

大学入る前からぼっちかよwと言う冗談を考える余裕もなく、
会場の寒さに先生早く来て・・・と強く願う留学生ズ、
試験開始時間は10時だと言うのに、8時半から現場にいる我々。
志は良いが、まさかこんな寒さの中で棒立ちとか想定外である。
当然どこの教室も完璧に開店準備中で、ドアは硬く閉じられてる。
しかもご丁寧に勝手に入るなよって感じの張り紙も張られてる。

あぁ・・試験始める前に僕遭難しそう・・・
昨晩、緊張のあまりにろくに睡眠も取れてない疲労と合さり最悪に感じる。
ここだけの話、
昨夜眠れなくてテレビつけてたら人生初の深夜アニメが見れたんだ。
深夜3時でアニメやってる国って、世界で日本しか無いよマジで。

うん、割とどうでもいい話でしたね。
その後9時半位でようやく先生?らしい方々が来て、やっとこ入場。
さっきまで群れあってヒィヒィ言ってた留学生どもの眼光がカラッと変わる。
そう、今から戦場に向かうような眼差しですよ。
学部ごとに指定された教室に入り、
席に着くと誰もが参考書を取り出し、必死で読み漁る。
先ほどまで騒然とした彼ら達とは想像出来ないほど、
教室内の空気は重苦しい。
そりゃまぁこの教室内の人間全員がライバルである。
数少ない用意された席を取り合いせねばなら敵だからな。

立ち聞きするつもりは無かったが、
教室外で会話してた中国留学生たちの話が少し耳に残ってた。

「去年この学部、最終選考に残ったのは6人で、最後合格できたのは3人だった。」
「なんで今年こんなに人が多いんだ?今30人は居るぞ、どうすんだよ?」
「合格枠増えないかなぁ、このままじゃ無理ゲー過ぎるよ」

聞かなかった方がよかった・・・余計不安になったじゃないか。

本来僕にも不安を感じるとこがあった。
それは経験不足である。

本来留学生と言うのは本国で留学向け語学学校施設に入り、
そこで語学をあるレベルまで学習し、その後施設で更に留学に向けて、
さまざまな勉強、予習など経てから、初めて外国へ飛び立つ。

ここに居る中国留学生でも韓国留学生でも、
彼らもそこから出てるのは間違いない。
なんせ対策参考書とか筆記を何本も持っていたから。
過去問の練習、面接の練習とかもちろん彼達はやってきただろう。

それに比べて僕は今までほぼすべてがスタンドアローンであり、
バックヤードからのサポートは一切無かった。
完全なる、出たとこ勝負である。
今回は丁か出るか、半が出るか。

2011年2月1日火曜日

日本滞在記ー第9話




1月29日、大阪再び。

翌日、30日の大学2次試験を迎えるため、余裕を持って前日からの乗り込み。
実に23日ぶりの大阪である。

前回は鉄道システムの余りにも複雑さに、乗り間違えなど犯したが、
今回はそのような失態を晒さぬように、じっくり線路をチェック。
翌日の本番に向けて着々と準備を整えておいた。

今回の本試験は僕にとって第1志願校でありながら、人生初の大学本場試験でもある。
いきなりぶっつけ本番なのだ。

この度、大学入試を決めた際、選出したのは4校だったが、
色々不手際で実際今回受ける大学は2校までに減り、
いわゆる滑り止めという学校は無いと思ってもいい。
まさに崖っぷち状態。

そんな後道の無い厳しい状態の中、
今回大阪行で僕はもう一つのイベントを約束していたのである。


初 オ フ 会!

っと言いますが、会うのは一人だけw
FF11のフレH氏とお食事の約束をしていました!

実はね、日本に来るかなり前に、
大学のパンフレットや願書をわざわざ取り合わせしてくれたのがH氏だったんですよ。
その節でお世話になったので、是非お食事を奢らせて頂きたいので、
FFで一番忙しいだろう土曜日で無理やり引っ張り出しましたw

二人でクソ寒い大阪夜の街を彷徨って、食の好みとか話してたら、
非常に僕と相性がいいと判明、二人とも海鮮物ダメな男でした。
そうそう、H氏は男の人ね。
女の子と二人っきりのデートとか想像してた方!残念でしたっ!

お酒の方もあまり飲まない方だったので、
二人はゆっくり出来て、尚且つ沢山食えるギョウザ専門店へ入る事に。
日本に着てからおじさん達に散々焼き肉、すき焼きなど奢ってもらったけど、
日本のギョウザは初めて! 
台湾のギョウザと比べて1個1個やや小さめでしたけど、
味の方はとっても美味しかった。
だが残念ながら画像はない! 
日本ではよく食べ物の接写写真載せてるブログがあるけど、
よく店の中で写真撮る度胸あるよなぁって思う。僕には無理!

しかし、今までPC画面の中でしか接点の無い人と、
直接対面してる事ってなんか不思議な気持ちになりますね。
H氏とはスカイプでもお話したことあった人なので、
一応大概のイメージは掴めてたんですが、
いざ会ってみると全く想定外の人でしたね、いい意味で。

だってタル♀使いですよ?どう想像しろとw
僕が金髪じゃないことについて大層失望してたようですが。
次の東京オフ会、行く前に染めるか・・・

食事の後、時間少し余裕あったので二人で何故かゲーセンに乗り込みました。
若干一人明日試験ある人間が居るみたいですけど、気にしないでください。

特にやりたいゲームがあったわけじゃないけど、
ゲーセンについた二人は、何故かクレーンゲームに取り付かれ、
誰かさんが2600円も投入してマジモードになってました。目が本気でした。
おかげでアイルーのぬいぐるみ2匹ゲット出来ました。
何故か2匹、一匹だけ狙ってたのに2匹同時に取れると言うミラクル。
二人仲良く1匹ずつ分け合いして、
深夜の大阪駅でぬいぐるみを抱きしめてる男の二人組がここで誕生です。
証拠写真も撮りました、流石にここで公開出来ないけどw

ホント翌日試験あるのに何をしてるんでしょうね。
でも実に楽しい一日でした。
わざわざ貴重な土曜日に時間割って、会ってくださったH氏に感謝。


日本滞在記ー番外弐~藍と緑と黒い屋根




島の上で取った写真は総計400枚余りでした。
折角なのでその一部を公開してみようと思います。

2011年1月31日月曜日

日本滞在記ー第8話




1月24日、午後2時。僕は海の上に居た。

この日、前々から誘いを受け、しかし中々都合が合わなく、
今まで見合わせてきた叔母さんの家へ、遊びにいくことになりました。

この叔母さんちはなんと、広島本土を離れた島にあるのです。
江田島市西能美島沖美町、広島名地宮島のすぐ横にある小さくはない小島ですw


南広島の宇品の港でフェリーに乗り、そのまま島へ一直線。
迎えに来てくれた叔父さん曰く、1時間に1便、一日16便あるらしい。
ド田舎のバスより便利といえば便利だよね、失礼だけどw


フェリー乗るのは小学生以来と言う僕なんですが、
最初は結構はしゃいで写真撮ってたけど、何せこのご時期、海風が寒い寒いww
何枚か満足いく写真取れたら逃げ帰るように客室に戻りました。
ほかのお客さんに失礼なので客室内で写真は取ってないけど、
席のど真ん中に和室ぽいエリアが設けられてた、
流石日本人、海の上でも畳ですか。なんかおっさんが一人寝転がってるけど。


海上で揺らされて35分ほど、やがて目的地に到着。

2011年1月24日月曜日

日本滞在記ー第7話




1月23日、気がつくと異国独身生活もはや1週間が過ぎました。

今までずーと憧れてた一人暮らし、でもいざ実体験すると大変でした。
何か大変と言うと、この一人暮らしは今まで20年も過ごしてた祖国ではなく、
文化も習慣も言葉も違う日本と言う異国。
今まで日々を過ごし、積み重なってきた生活のノウハウが通じないとこが出てくる。
こんな高い物価の国でみんなよく生活出来てるなぁっと感心しますわ。

今の住処だと調理器具が揃ってないし、
まだ学校も決まってない時点で揃える気も無いから、ほぼ毎日外食生活。
これが痛い、出費が痛い。 外食高すぎワラタ。

何とかこれを抑えたい。
でまぁ、この高すぎる外食費用の節約のため、
地元のスーパーを利用することにしました。
そう!ちと遅い時間に行くとある割引されたおかずなどを狙って!
しっかしこれが予想以上の激戦区で、日々おばちゃんたちとの取り合い合戦。
特に値下げされたパン類は即効売り切れになるので、
値下げのタイミングを掴むのに一苦労・・・
おかげで主婦の味方であるスーパーのチラシを、
毎日欠かさずネットでチェックする癖がつきました。

目指せっ! 一日3食合わせて千円!



そして話は一気に変わりますが、Amazonをはじめて利用しました。
信じますか? 台湾だとAmazonは本しか売ってないんだぜ・・?
ネット通販だと台湾じゃ楽天の一人独走状態なんだ。

生活用品は出来る限り最低限までしか揃えないようにしてますが、
流石にこのクソ寒い日々でドライヤー無しで自然乾燥させるのは、
もはや風呂入るごとに拷問受けるみたいな状態なので;;
Amazonで適当に持ち運びやすい奴をぽちりました。

実はポチる前に家電屋にも足を運んだのですが、
値段がどれもAmazonの方が安いってどういうことなのw
家に居るだけで勝手に届くし、安いし、品揃え良いし、
売店の存在意味がェ・・・そりゃ引篭もりが量産されるわな。

しかし噂通り、箱が無駄にデカイw
ドライヤー1本しか注文してないのに、1Dは入れそうな箱使うんだなw

2011年1月17日月曜日

日本滞在記ー第6話




1月16日、色々な方々の手助けにより、
遂に念願の携帯電話を手に入れました。

しかしながら僕の希望説明が通じてなかったのか、
手にしたこの機種だと、モデム代わりにネットブックをネットに繋げれない。
一時はキャンセルして機種変えでもしようと悩みましたが....
月額料金が凄い事になるときいて、そのまま最初の機種に決めました。

で、さっそくこの携帯を使ってブログを書いてみました。
もちろん画像も携帯でとったもの、そのままアップロードしました。
自分の携帯で見ても、何かおかしいとこがないか分からなけどねw

とりあえず高いお金払ってネカフェ難民にならなくても、
日記更新できることになりました;;
今まではなんと一時間400円、4時間1000円のネカフェを利用していたんです。
広島市はほとんどこれくらいらしいので、結構お金かかりました。
もうドリンク飲み放題はいらないでござる;

ただ、まだ携帯の日本語タイプがなれてなくて、
一文字一文字かなり苦戦してます;

ここまで記事を書いてすでに三時間半もかかりました、
もう力尽きたので、今日はここまで。

2011年1月15日土曜日

日本滞在記ー第5話




1月13日、日本に来て初めて雪を見たこの日、
時はまだ日も昇ってない朝の6時、僕は母を空港へ送る路上に居た。

雪夜の日の出は、空が一辺のオレンジとエメラルドグリーンで染められて、
何か不思議な光景だった。
リムジンバスの中じゃなければ、何枚シャッターを切ってたのだろうか。

車外は限りなく0℃に近い天候なのに、
車内は暖房が効きすぎて手に汗がにじむ位だった。
後で車を降りるときの温度差で体が悲鳴を上げるのは間違いないであろう。
台湾に戻ったら暑くなるからあまり厚着を拒む母が心配だ。

しかし考えたらこういうお節介な心配も今日で最後だな。
これから2ヶ月、いや・・・4年になるかもしれない生活は、
一人で過ごすのだから。


丁度いい機会なので、これからの予定を再チェックしてみよう。

2011年1月13日木曜日

日本滞在記ー番外壱




マンションでようやく落ち着けるようになって、
暇な時間ができたので、日本に到着してから撮った写真は500枚余り、
それを再整理、リサイズしたものを一部公開してみようと思います。

それと過去記事も文章だけで素っ気無いから、少し画像を足しておきました。

日本滞在記ー第4話




1月10日、日本到着してきら1週間が過ぎました。
広島の天候や生活に徐々にやっと慣れてきたこの頃、
母との挨拶回りの旅もそろそろ終わりが見えてきました。

流石母の実家であるこの横川町、
母と巷で歩いてるだけで人が次々挨拶してくる。
どんだけ顔が広いのかと。
まぁ日本に来るのはもう7年ぶりになる僕と比べて、
病気になったおばあちゃんの看病のために、
母はつい3年前まで広島に一時期滞在してたからね。

僕が単身で来たとしたら、こうも手厚い歓迎はされなかったでしょう。
こればかりは母に感謝せねば。

しかし母も残り3日で帰国するので、
そろそろ僕自身の生活問題も考えねばいけません。

今、叔母の家に好意で泊まらせて頂いてるんですけど、
流石に向こう2ヶ月も、このままお邪魔しっ放しは流石に図々しいかと。
なので、付近でマンションを一室借りることにしました。
最初は遠慮せず住んでよいと、叔母はこの提案に反対気味でしたが、
叔父や叔母、さらに息子さんにも仕事、都合があるし、
毎日お互い気を使うのは、先々気苦しくなるに間違いないと説明し、
ようやく納得してくれました。

ただ、これで引き下がる叔母ではなかった。
なんとまぁ叔母さん持ちのマンション一室を、
そのまま僕に借りてくれるとの事。
このマンションはお兄さんのために購入したと言うのに、
しかし当人のお兄さんは朝早く出て、夜遅く帰る仕事生活で、
仕事場から近いし、洗濯風呂など便利な実家から中々出てくれなくて、
もう購入してから1年以上空き部屋放置したままと言う状態らしい。

それなら折角なのでその一室を2ヶ月借りることにしました。
叔母さんは1DKだけの狭い一室だと言ってましたが、
一人住まいするには十分過ぎる広さでした。



この部屋に案内してくれた叔父さんが、
最初部屋中で一枚布団しかなかった殺風景な様子を見て、
なんだこの子作り部屋は!と口走ったのは笑ったw
どうやら叔父さんも1年ぶりにこの部屋に入ったらしかった。

マンションのすぐ横に電車が通るので、騒音がひどいそうですけど、
まぁ凄く破格な値段で借りれたので、そこは良しとしましょう。
これから2ヶ月、この部屋のお世話になります。

2011年1月11日火曜日

日本滞在記ー第3話











1月7日、大阪波乱の旅を終え、ようやく広島に戻ってきた翌日。
まだ旅先から戻ってきたばかりと言うのに、
いそいそと次の手続きに取り掛かる。
実は今回大阪に届いた資料に一つ不足があり、
それを急いで郵便配達しないといけないのだ。

この日は、丁度日本の3連休目前、最後の平日で、
今日を見逃したら次に届けれるのは3日後の休み明けということなり、
大学から申し渡された締め切り前日になってしまう。
一応速達で送れば間に合うものの、もし途中でもしもの事があったら・・・
そんな恐ろしい事を身をもって試したくはないので、さっさと送るのが吉。

と言うわけで、7年ぶりの日本郵便局へ。
7年前、郵便局を利用して荷物を海運で自国へ送ったことがあるんですよね。
日本国内の郵便は、実は初めて。
ここで遭遇する初めてのワード「書留」
局員さんに説明を一回伺ったけど、あまり理解できなく、
もう一度聞こうと思ったけれど、残念ながら後ろに客が控えてるので、
あまり悠長に聞いてる場合じゃないので、適当に済ませちゃいました。
結局、書留の意味は分からないまま・・・w
まぁ結果はともあれ送るべきものは送ったし、用事は済ませた。

話は変わりますけど、
日本に来てから、
住まいは叔父さん叔母さんの家で一時期お邪魔してることになってます。
しかしここ2ヶ月、僕は日本中飛び回る予定になってるので、
携帯を持ってないと色々連絡が不便だし、
何よりも叔父と叔母さん、強いては親も心配だと言う事。
しかし日本で携帯を契約するためには、僕は在留資格が足りず、
現時点で携帯を契約するのは不可能となってます、
ネットなども同じ理由で断られました。
これがすごい不便で不便で・・・

それを聞いて、叔母の息子さんが名義を貸して作ってくれることに、
僕の資格が降りれたらまた名義変えればいいという話なので、
僕もそれは大変助かるので、代理をお願いしました。
しかし希望した携帯が届くまで1週間掛かるから、
携帯もてるのは来週の事になりそうです。

2011年1月10日月曜日

日本滞在記ー第2話





1月5日、広島に到着してまだ丸二日もたってないと言うのに、大阪への急行。
それもただ大学へ志願書届くためだけに。
そんなもの郵便で送ればいいことなのに、きっとそう思うでしょう。
しかし、それは日本人と言う目線に限る。

外国留学生にとってこれは試験以上の不安要素なのである。
大学に通う事は、ほとんどの人間にとって人生で一度限りのイベントであり、
その入学申請必要資料、手続き、費用、注意点などなど、
塾や学校と言う代理申請を承る人間じゃない限り、分からない事ばかり。
みんな手続き素人なのだからね。まぁこの話はまた後ほどで。

大阪に到着してからまず戸惑ったのは電車の複雑さ。
地下鉄、私鉄、JRなど数えて10本だったかな・・・
とにかくどこで何に乗り換えたらいいか分からない状態だった。
おかげで見事乗り違えて、大学とは真逆の方向、
気づいたら奈良に向かってる特急電車に乗ってた。

結果は散々。ようやく大学にたどり着いた頃はもう受付終了の午後4時過ぎ。
日帰り予定だったスケジュールは、急遽1泊することに。
台湾から持ってきた資金には限りがあるので、
出来る限り安く済ませたいと思い、適当なネカフェで一晩過ごす事になる。
日本に着てから携帯も無い、ネットも繋がれない、住所すらないと言う僕も、とうとうネカフェ難民にデビューですよw ドリンク飲み放題ウマー;;

翌日、今度こそ遅れまいと朝7時から出発し、大学に向かおうとしたけど、
受付は10時からのスタートと思い出して、
ならば折角のことだから、早朝の大阪見物歩き旅でも敢行し、
気づいたら梅田、難波、日本橋、新世界の通天閣など、
少なくとも9時半頃まで5駅位を歩き通りました。
その後は大学に行って志願資料を渡して、大阪への目的はこれで終了。

色々散々な目に遭ったと思ってたこの旅程も、
広島帰りの新幹線に乗り込み、じっくり考えてみたら、
この二日はちっとも無駄な経験じゃなかったと思い直しました。
もし今回が本番試験当日だったら、どうだったんだろう。
明日また届ければいいやって笑って済ませれる話じゃないね。

たとえ少し宿代が増えても、大事な日の準備に一日余裕を持って、
早めに出発した方がいいと学びました。



2011年1月6日木曜日

日本滞在記ー第1話




1月3日、南国人には身が凍みるほどの冬風で迎えてくれた日本陸地。
気温は3度、しかも大雨と来た。
7年ぶりの異郷、いや、第2故郷は手厳しいおもてなしでした。

きつい天候の中、煩雑な空港の手続き、今までより一層厳しい検査を終え、
ようやく駅までの直通バスに乗り込めた後、
空港上でのあれほど飛びあってた聞きなれない異国の言葉がすべて静まり、
周り一片日本語になったっと気づく。
あぁ・・もう僕は、日本に居るんだな、と今一度心の中で確信を得た。

今回の旅はもともと単身で向かう予定でしたが、
どうしてもオフクロが同行して親戚や古い友人と会いたいと願い、
そして今後長く日本に住むことになれば、
色々世話も見てくれるよう頼みたいらしく、結局母との二人旅に相成りました。
これで元々予定してたスケジュールが大幅変動することになり、
大阪行きの旅程が一気に西の広島に向かうことになってしまいました。

ただ、母は10日ほど滞在してすぐ帰国する予定で、
僕はこのまま大学の出願、当地2次試験など、さらに合格通知待ちも含み、
3月末まで日本滞在することになります。

長い期間故にノンビリできるように見えて、実は色々準備もあるし、
何せすべてが“初めて“の体験。知らない、分からない事ばかりで、
その問い合わせ、調べ、連絡などでいっぱいいっぱい。
遊び心ありとも身は動かず、今はそんな気持ち。 

でも折角瀬戸内の海がすぐ目の先にあるんだ。
余裕あればいずれあちこち観光はしたいものです。

2011年1月1日土曜日

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