2011年1月31日月曜日

日本滞在記ー第8話




1月24日、午後2時。僕は海の上に居た。

この日、前々から誘いを受け、しかし中々都合が合わなく、
今まで見合わせてきた叔母さんの家へ、遊びにいくことになりました。

この叔母さんちはなんと、広島本土を離れた島にあるのです。
江田島市西能美島沖美町、広島名地宮島のすぐ横にある小さくはない小島ですw


南広島の宇品の港でフェリーに乗り、そのまま島へ一直線。
迎えに来てくれた叔父さん曰く、1時間に1便、一日16便あるらしい。
ド田舎のバスより便利といえば便利だよね、失礼だけどw


フェリー乗るのは小学生以来と言う僕なんですが、
最初は結構はしゃいで写真撮ってたけど、何せこのご時期、海風が寒い寒いww
何枚か満足いく写真取れたら逃げ帰るように客室に戻りました。
ほかのお客さんに失礼なので客室内で写真は取ってないけど、
席のど真ん中に和室ぽいエリアが設けられてた、
流石日本人、海の上でも畳ですか。なんかおっさんが一人寝転がってるけど。


海上で揺らされて35分ほど、やがて目的地に到着。

2011年1月24日月曜日

日本滞在記ー第7話




1月23日、気がつくと異国独身生活もはや1週間が過ぎました。

今までずーと憧れてた一人暮らし、でもいざ実体験すると大変でした。
何か大変と言うと、この一人暮らしは今まで20年も過ごしてた祖国ではなく、
文化も習慣も言葉も違う日本と言う異国。
今まで日々を過ごし、積み重なってきた生活のノウハウが通じないとこが出てくる。
こんな高い物価の国でみんなよく生活出来てるなぁっと感心しますわ。

今の住処だと調理器具が揃ってないし、
まだ学校も決まってない時点で揃える気も無いから、ほぼ毎日外食生活。
これが痛い、出費が痛い。 外食高すぎワラタ。

何とかこれを抑えたい。
でまぁ、この高すぎる外食費用の節約のため、
地元のスーパーを利用することにしました。
そう!ちと遅い時間に行くとある割引されたおかずなどを狙って!
しっかしこれが予想以上の激戦区で、日々おばちゃんたちとの取り合い合戦。
特に値下げされたパン類は即効売り切れになるので、
値下げのタイミングを掴むのに一苦労・・・
おかげで主婦の味方であるスーパーのチラシを、
毎日欠かさずネットでチェックする癖がつきました。

目指せっ! 一日3食合わせて千円!



そして話は一気に変わりますが、Amazonをはじめて利用しました。
信じますか? 台湾だとAmazonは本しか売ってないんだぜ・・?
ネット通販だと台湾じゃ楽天の一人独走状態なんだ。

生活用品は出来る限り最低限までしか揃えないようにしてますが、
流石にこのクソ寒い日々でドライヤー無しで自然乾燥させるのは、
もはや風呂入るごとに拷問受けるみたいな状態なので;;
Amazonで適当に持ち運びやすい奴をぽちりました。

実はポチる前に家電屋にも足を運んだのですが、
値段がどれもAmazonの方が安いってどういうことなのw
家に居るだけで勝手に届くし、安いし、品揃え良いし、
売店の存在意味がェ・・・そりゃ引篭もりが量産されるわな。

しかし噂通り、箱が無駄にデカイw
ドライヤー1本しか注文してないのに、1Dは入れそうな箱使うんだなw

2011年1月17日月曜日

日本滞在記ー第6話




1月16日、色々な方々の手助けにより、
遂に念願の携帯電話を手に入れました。

しかしながら僕の希望説明が通じてなかったのか、
手にしたこの機種だと、モデム代わりにネットブックをネットに繋げれない。
一時はキャンセルして機種変えでもしようと悩みましたが....
月額料金が凄い事になるときいて、そのまま最初の機種に決めました。

で、さっそくこの携帯を使ってブログを書いてみました。
もちろん画像も携帯でとったもの、そのままアップロードしました。
自分の携帯で見ても、何かおかしいとこがないか分からなけどねw

とりあえず高いお金払ってネカフェ難民にならなくても、
日記更新できることになりました;;
今まではなんと一時間400円、4時間1000円のネカフェを利用していたんです。
広島市はほとんどこれくらいらしいので、結構お金かかりました。
もうドリンク飲み放題はいらないでござる;

ただ、まだ携帯の日本語タイプがなれてなくて、
一文字一文字かなり苦戦してます;

ここまで記事を書いてすでに三時間半もかかりました、
もう力尽きたので、今日はここまで。

2011年1月15日土曜日

日本滞在記ー第5話




1月13日、日本に来て初めて雪を見たこの日、
時はまだ日も昇ってない朝の6時、僕は母を空港へ送る路上に居た。

雪夜の日の出は、空が一辺のオレンジとエメラルドグリーンで染められて、
何か不思議な光景だった。
リムジンバスの中じゃなければ、何枚シャッターを切ってたのだろうか。

車外は限りなく0℃に近い天候なのに、
車内は暖房が効きすぎて手に汗がにじむ位だった。
後で車を降りるときの温度差で体が悲鳴を上げるのは間違いないであろう。
台湾に戻ったら暑くなるからあまり厚着を拒む母が心配だ。

しかし考えたらこういうお節介な心配も今日で最後だな。
これから2ヶ月、いや・・・4年になるかもしれない生活は、
一人で過ごすのだから。


丁度いい機会なので、これからの予定を再チェックしてみよう。

2011年1月13日木曜日

日本滞在記ー番外壱




マンションでようやく落ち着けるようになって、
暇な時間ができたので、日本に到着してから撮った写真は500枚余り、
それを再整理、リサイズしたものを一部公開してみようと思います。

それと過去記事も文章だけで素っ気無いから、少し画像を足しておきました。

日本滞在記ー第4話




1月10日、日本到着してきら1週間が過ぎました。
広島の天候や生活に徐々にやっと慣れてきたこの頃、
母との挨拶回りの旅もそろそろ終わりが見えてきました。

流石母の実家であるこの横川町、
母と巷で歩いてるだけで人が次々挨拶してくる。
どんだけ顔が広いのかと。
まぁ日本に来るのはもう7年ぶりになる僕と比べて、
病気になったおばあちゃんの看病のために、
母はつい3年前まで広島に一時期滞在してたからね。

僕が単身で来たとしたら、こうも手厚い歓迎はされなかったでしょう。
こればかりは母に感謝せねば。

しかし母も残り3日で帰国するので、
そろそろ僕自身の生活問題も考えねばいけません。

今、叔母の家に好意で泊まらせて頂いてるんですけど、
流石に向こう2ヶ月も、このままお邪魔しっ放しは流石に図々しいかと。
なので、付近でマンションを一室借りることにしました。
最初は遠慮せず住んでよいと、叔母はこの提案に反対気味でしたが、
叔父や叔母、さらに息子さんにも仕事、都合があるし、
毎日お互い気を使うのは、先々気苦しくなるに間違いないと説明し、
ようやく納得してくれました。

ただ、これで引き下がる叔母ではなかった。
なんとまぁ叔母さん持ちのマンション一室を、
そのまま僕に借りてくれるとの事。
このマンションはお兄さんのために購入したと言うのに、
しかし当人のお兄さんは朝早く出て、夜遅く帰る仕事生活で、
仕事場から近いし、洗濯風呂など便利な実家から中々出てくれなくて、
もう購入してから1年以上空き部屋放置したままと言う状態らしい。

それなら折角なのでその一室を2ヶ月借りることにしました。
叔母さんは1DKだけの狭い一室だと言ってましたが、
一人住まいするには十分過ぎる広さでした。



この部屋に案内してくれた叔父さんが、
最初部屋中で一枚布団しかなかった殺風景な様子を見て、
なんだこの子作り部屋は!と口走ったのは笑ったw
どうやら叔父さんも1年ぶりにこの部屋に入ったらしかった。

マンションのすぐ横に電車が通るので、騒音がひどいそうですけど、
まぁ凄く破格な値段で借りれたので、そこは良しとしましょう。
これから2ヶ月、この部屋のお世話になります。

2011年1月11日火曜日

日本滞在記ー第3話











1月7日、大阪波乱の旅を終え、ようやく広島に戻ってきた翌日。
まだ旅先から戻ってきたばかりと言うのに、
いそいそと次の手続きに取り掛かる。
実は今回大阪に届いた資料に一つ不足があり、
それを急いで郵便配達しないといけないのだ。

この日は、丁度日本の3連休目前、最後の平日で、
今日を見逃したら次に届けれるのは3日後の休み明けということなり、
大学から申し渡された締め切り前日になってしまう。
一応速達で送れば間に合うものの、もし途中でもしもの事があったら・・・
そんな恐ろしい事を身をもって試したくはないので、さっさと送るのが吉。

と言うわけで、7年ぶりの日本郵便局へ。
7年前、郵便局を利用して荷物を海運で自国へ送ったことがあるんですよね。
日本国内の郵便は、実は初めて。
ここで遭遇する初めてのワード「書留」
局員さんに説明を一回伺ったけど、あまり理解できなく、
もう一度聞こうと思ったけれど、残念ながら後ろに客が控えてるので、
あまり悠長に聞いてる場合じゃないので、適当に済ませちゃいました。
結局、書留の意味は分からないまま・・・w
まぁ結果はともあれ送るべきものは送ったし、用事は済ませた。

話は変わりますけど、
日本に来てから、
住まいは叔父さん叔母さんの家で一時期お邪魔してることになってます。
しかしここ2ヶ月、僕は日本中飛び回る予定になってるので、
携帯を持ってないと色々連絡が不便だし、
何よりも叔父と叔母さん、強いては親も心配だと言う事。
しかし日本で携帯を契約するためには、僕は在留資格が足りず、
現時点で携帯を契約するのは不可能となってます、
ネットなども同じ理由で断られました。
これがすごい不便で不便で・・・

それを聞いて、叔母の息子さんが名義を貸して作ってくれることに、
僕の資格が降りれたらまた名義変えればいいという話なので、
僕もそれは大変助かるので、代理をお願いしました。
しかし希望した携帯が届くまで1週間掛かるから、
携帯もてるのは来週の事になりそうです。

2011年1月10日月曜日

日本滞在記ー第2話





1月5日、広島に到着してまだ丸二日もたってないと言うのに、大阪への急行。
それもただ大学へ志願書届くためだけに。
そんなもの郵便で送ればいいことなのに、きっとそう思うでしょう。
しかし、それは日本人と言う目線に限る。

外国留学生にとってこれは試験以上の不安要素なのである。
大学に通う事は、ほとんどの人間にとって人生で一度限りのイベントであり、
その入学申請必要資料、手続き、費用、注意点などなど、
塾や学校と言う代理申請を承る人間じゃない限り、分からない事ばかり。
みんな手続き素人なのだからね。まぁこの話はまた後ほどで。

大阪に到着してからまず戸惑ったのは電車の複雑さ。
地下鉄、私鉄、JRなど数えて10本だったかな・・・
とにかくどこで何に乗り換えたらいいか分からない状態だった。
おかげで見事乗り違えて、大学とは真逆の方向、
気づいたら奈良に向かってる特急電車に乗ってた。

結果は散々。ようやく大学にたどり着いた頃はもう受付終了の午後4時過ぎ。
日帰り予定だったスケジュールは、急遽1泊することに。
台湾から持ってきた資金には限りがあるので、
出来る限り安く済ませたいと思い、適当なネカフェで一晩過ごす事になる。
日本に着てから携帯も無い、ネットも繋がれない、住所すらないと言う僕も、とうとうネカフェ難民にデビューですよw ドリンク飲み放題ウマー;;

翌日、今度こそ遅れまいと朝7時から出発し、大学に向かおうとしたけど、
受付は10時からのスタートと思い出して、
ならば折角のことだから、早朝の大阪見物歩き旅でも敢行し、
気づいたら梅田、難波、日本橋、新世界の通天閣など、
少なくとも9時半頃まで5駅位を歩き通りました。
その後は大学に行って志願資料を渡して、大阪への目的はこれで終了。

色々散々な目に遭ったと思ってたこの旅程も、
広島帰りの新幹線に乗り込み、じっくり考えてみたら、
この二日はちっとも無駄な経験じゃなかったと思い直しました。
もし今回が本番試験当日だったら、どうだったんだろう。
明日また届ければいいやって笑って済ませれる話じゃないね。

たとえ少し宿代が増えても、大事な日の準備に一日余裕を持って、
早めに出発した方がいいと学びました。



2011年1月6日木曜日

日本滞在記ー第1話




1月3日、南国人には身が凍みるほどの冬風で迎えてくれた日本陸地。
気温は3度、しかも大雨と来た。
7年ぶりの異郷、いや、第2故郷は手厳しいおもてなしでした。

きつい天候の中、煩雑な空港の手続き、今までより一層厳しい検査を終え、
ようやく駅までの直通バスに乗り込めた後、
空港上でのあれほど飛びあってた聞きなれない異国の言葉がすべて静まり、
周り一片日本語になったっと気づく。
あぁ・・もう僕は、日本に居るんだな、と今一度心の中で確信を得た。

今回の旅はもともと単身で向かう予定でしたが、
どうしてもオフクロが同行して親戚や古い友人と会いたいと願い、
そして今後長く日本に住むことになれば、
色々世話も見てくれるよう頼みたいらしく、結局母との二人旅に相成りました。
これで元々予定してたスケジュールが大幅変動することになり、
大阪行きの旅程が一気に西の広島に向かうことになってしまいました。

ただ、母は10日ほど滞在してすぐ帰国する予定で、
僕はこのまま大学の出願、当地2次試験など、さらに合格通知待ちも含み、
3月末まで日本滞在することになります。

長い期間故にノンビリできるように見えて、実は色々準備もあるし、
何せすべてが“初めて“の体験。知らない、分からない事ばかりで、
その問い合わせ、調べ、連絡などでいっぱいいっぱい。
遊び心ありとも身は動かず、今はそんな気持ち。 

でも折角瀬戸内の海がすぐ目の先にあるんだ。
余裕あればいずれあちこち観光はしたいものです。

2011年1月1日土曜日

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