2011年6月27日月曜日

日本滞在記ー第20話~「能美島、再び」


1月末、来日したばかりの頃、
久しく顔を会わせてない叔母さんに、誘われるがままつれて行かれた離れ島。
今度はお別れの挨拶と言う形で、今一度行く事になりました。

前回は叔父さんが車で迎えてく来てくれたから、
事実上、一人で港に来るのは初めてだったり。
こんな立派なターミナルだったんだね!

しかも、あの時は小雨が止まぬ、微妙な天気だったと来たから、
今日、こんな晴れた日は、港は見晴らしがホントに素晴しく、
出船時刻よりやや早めに来た事に、感謝するばかりである。


2011年6月13日月曜日

日本滞在記ー第19話~「祭り」


お祭りは好きですか?
僕は大好きです。

とってもとっても幼い頃、僕ら一家は日本に住んでた時期がありました。
しかし今となっては、あの頃の記憶は断片的にしか残ってません。

ただ、たまに、ごくたまに夢の中で薄っすらと走馬灯のように横切るんです。
親の手を握りしめ、屋台を菓子をねだるような、
灯篭のともし火で照らされた夜道を、はしゃいで走り行くような、
浴衣姿で高台を囲み、踊り回る人を眺めるような
そんな思いでが。

何時、どこで、誰と、そこまではもう思い出せないのに、
確かに感じられる、これは「お祭り」の思い出。
楽しいお祭りの思いで。



2011年6月11日土曜日

日本滞在記ー第18話~「球場」




8年前広島に来た時、
野球好きな叔父さんの好意で、人生初の野球観戦を体験した。
叫び響く歓声、流れ渡る応援歌。
今でも忘れられない熱い一夜だった。

その叔父さんは、今はもう亡くなり。その球場も、今は使われてない。

そう聞かされて、寂しさを感じつつも、今使われてる新球場に興味が湧く。
という訳で、小雨の中、傘をさして見に行ってきた。

流線型な外部フレーム、多機能多目的な数々のステージ。
まさしく言葉どおり、近代的なスタジアムだった。

しかし、この日に試合はなく、そしてこの雨だから、人通りは全く無い。
無機質な外壁と灰色に染まる空は、旅人の心境を幾分感傷に引き込んでしまう。



それでも駅からスタジアムまでの数百メートル、
延々と続くフェンスの上で、神々しく飾られてる、
広島当地の球団、カープ選手代表たちの紹介看板を眺めるだけで十分楽しい。
どこの大学出身、どんなポジション、どういう経歴、こういう逸話。
野球に詳しくない僕でも、彼らが、そして野球がいかに愛されてるか、
十分伝わってくる。


近くのコンビニですら、特別カラーと言う徹底さ。


さすがに中で写真撮るのはマナー違反だと自重しましたが、
中は野球グッズびっしりでしたw



そしてそして、日本名物である「コレ」も勿論特別仕様。



カラーついてるマンホールとか初めて見ましたわ。


2011年6月10日金曜日

日本滞在記ー第17話~「決意」



尾道の旅から戻った後、予想以上足に負担をかけまくったせいか、
帰宅後数日、膝と足筋の筋肉痛に襲われて、暫く遠出は諦めざるを得なかった。
本来、港町の「呉」とかにも行きたかったけどねー。

しかし、こう毎日部屋で寝そべって居ても気分が沈んでいくばかり・・・

「これからどうしよう?」
それから毎日のように、頭の中でこのフレーズが響く。
彼方此方に旅へ出ては、旅先の感動で一時の忘却は出来ても、
所詮は一時期の逃避にしかならない。
結局、家のドアを開くたびに、現実の世界に引き戻されてしまう。


一日、二日、三日・・・
答えがみつからないまま、時間だけは過ぎていく。

ふと航空チケット取り出して見る。
期限的に4月一杯まで滞在は可能と、書いてるのを再確認する。
しかし、大学はもう諦めるしかないし、これ以上居残ると生活費もバカに出来ない。
それに、もうこれ以上面倒見てくれてる叔父や叔母に、迷惑をかけれない。


三月一日
帰国を決心。
日程は、丁度10日後の三月十一日を選んだ。

この残された十日間、
せめて最後まで、この大好きな国の空の下で思う存分歩き回りたい。
そう思いながら、僕の自由気ままな散策が始まる。